寒いなあ。ブルブル。冬だし、今年もあと二週間と少し。ホント、早いなあ。
今年の記憶、今月の記憶、ほとんどないね。昨日のはチョットだけ。認知じゃなくて、歳のせいばかりでもない。時間の流れが速くなっている気がする。
現在、東京。人が多い。一極集中。地方に住んでるとつくづく、そう思う。とくに田舎に帰ると。
久し振りに中央線に乗ったけど、山手線内には古いお家が多い。ドスン、でどうなるんだろ。『M8』の世界だ。M9だって言われたけど。
今日は『電王』のお話。
もう、大昔の話になるけど、ボクは科学者になるのが夢でした。で、理系の勉強をしていました。やってたのは「核融合」。「地上に太陽を」人生を捧げようと本気で思ってました。若かったなあ。
まず研究所に入って、アメリカの大学に行って……。色々あって……。チョット、悲しい。
よく聞かれるのは、「理系なのにどうして作家になったのですか」。「頭がよくなかったから」と言うと、作家さんに失礼か。
結論は、「ボクは科学者には向いていない」。要するに、「人には向き不向きがある」ということ。それに気づくことができた。アメリカ留学の成果です。理論物理関係の講義なんて、必死で聞いてノートを取っても、一行も理解できないんだもの。でも、小説はね。
ときどき、学校から、教育関係の講演を頼まれます。
「無駄な努力はするな」と、言うと、先生たちは「ええっ」という顔をします。子供たちの前で、なんと言う暴言。「でも、それが分かるのは、死ぬほど努力してから」と、続けますが。先生たちはホッ。
教育とは、「子供たちから、本当の彼らの才能を引き出す手助けをすること」。
人は様々な才能を持っています。勉強、スポーツ、芸術……。でも、優しさ、器用さ、我慢強さ、ひょうきんさ、力が強いと言ったことも大きな才能の一つです。近年、母親が施設に入って、つくづくそれを実感します。世界は様々な人の行いの上に成り立っている。社会の大きな役割の一つは、それを認めて十分な援助ができる体制を作ること。みんながそれなりの生活ができる社会の創造。
最近の大学生の不祥事は、誤った価値観と教育の失敗のなせる業。
この辺り、完全な言葉足らず。正確に言おうとすると、一冊の本ができる。いずれまた。
で、『電王』は、二人の幼馴染のお話です。孤独な二人の少年の出会い。
彼らは偶然の出会いにより、お互いの切磋琢磨の中、彼らの才能を十分に引き出すことができました。人は一人では、生きられない。どこかで支え合え、心のより所としている。
ボクの長年書きたかったことの一つです。
『電王』(幻冬舎)12月15日発売
https://www.amazon.co.jp/dp/434403046X
明日、発売です。今日、並んでる書店さんも。
フウッ。宣伝してしまった。でも、色んな人に読んでもらいたいモノです。
これも、宣伝か。ゴメン。