1949年7月7日、岡山県玉野市生まれ。慶應義塾大学工学部卒業、大学院修士課程修了。
日本原子力研究所研究員を経て、カリフォルニア大学に留学。
(1979年 日本原子力学会技術賞受賞)
日本推理作家協会、日本文芸家協会、日本文芸家クラブ会員。

1990年 『帰国』 第24回北日本文学賞受賞
1994年 『メルトダウン』 第1回小説現代推理新人賞受賞
1999年 『イントゥルーダー』 第16回サントリーミステリー大賞受賞(大賞・読者賞をダブル受賞)
2006年 井植文化賞受賞
2007年 『ミッドナイトイーグル』 映画化(松竹映画、ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパンによる共同製作)
2010年 『風をつかまえて』 第56回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(高等学校の部)に選定
2011年 神戸市文化賞(芸術・文学)受賞

2017年 『福島第二原発の奇跡』でエネルギーフォーラム賞優秀賞を受賞

2018年 『都庁爆破!』テレビドラマ化(全国TBS系列)

2020年 第1回日本応用地質学会表彰を受賞


Biography
1949 Okayama Birth
1973 Keio University Faculty-of-Technology Graduation
1975 Keio University Graduate School Engineering Graduate Course Master Course End
1975 Japan Atomic Energy Research Institute Research Worker
1978 University of California Studying Abroad

1978 article was carried by "Scientific Instruments vol.49"(a publication of the American Institute of Physics).
The title of the article was :
"Drive characteristics of a fast movable limiter in the JT-60 tokamak"  T.Takashima, M.Ohta, and M.Shimizu
Division of Large Tokamak Development, Tokai Establishment, Japan Atomic Energy Research Institute, Tokai-Mura, Naka-Gun, Ibaraki-Ken, Japan.
(received 26 August 1977; in final form, 17 October 1977)
A Pair of fast-scting movable limiters are to be installed in the vacuum chamber of the JT-60 tokamak being designed at JAERI.Their purpose is to supperss skin current in the plasma column.They should traval across are vacuum chamnber over a stroke of about 1 m in 0.1 s during the built-up phase of the plasma current. Each movable limiter system consists of the drive system, a vacuum seal, a bearing usuable at hgh temperature in a vacuum, and a molybdenum rail limiter head. For the drive a hydraulic mechanism is used with servovalves to control the oil flow. To develop satisfactory movable limiters for JT-60, the full-scale model was constructed and tested. Overall tets with the model showed high reliability, reproducibility, controllability, and safety of the movable limiter. The drive pattern measured is in good agreement with that simulated. The movable limiters should prevent the skin effect of plasma current in the current rising phase and also provide information on particle diffusion during the flat-top phase of plasma current.

1995 Japanese Inference Writer Association Member
2000 Japan Writer's Association Member
2001 National Coaching School Cooperative Society Director
2007 Filmize "Midnight Eagle" (Shochiku-Universal Pictures)

Prize
1979 Atomic Energy Society of Japan Technical Prize
1990 Yasushi Inoue & North Japan Literary Prize " Homecoming "
1994 Novel Present Age Inference Newcomer Prize " Meltdown "
1999 Suntory Mystery Grand-prix, Grand-prix, and Reader Prize " Intruder"
2006 Iue Cultural prize

2011 Kobe Culture Award prize

2017 Energy Forum Award prize "Miracle of Fukushima II Nuclear Power Plant"

Update Information

https://en.wikipedia.org/wiki/Tetsuo_Takashima

 


http://www2.st.keio.ac.jp/ob_relay/ob_0512.html


慶應義塾大学理工学部「塾員来往」[第27回] 高嶋哲夫 作家

 

「人生、一寸先は……」

「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な躍進だ」 1969年、人類史上初めて地球以外の星に降り立った宇宙飛行士アームストロング船長の言葉だ。僕は、大学一年生だった。

 ロケットをやりたいと思ったのは、このときだった。といってもどうしていいか分からず、宇宙やロケットに関する写真集や一般的な啓蒙書を買い込んで読んだ覚えがある。関係する分野といえば、流体力学だった。

 研究室の見学で、MHD発電の基礎研究をやっている研究室があった。真空に引いたパイプの一方に、切り込みを付けたアルミ板をセットして破り、ショックウェーブを発生させる装置だった。電磁流体力学という言葉に何となくアカデミックな響きを感じて、その研究室で卒論を書いた。そこではいい先生、先輩に恵まれ、楽しく有意義な一年間だった。

 

 大学院に進学してからは、当時、田無にあった通産省の電子技術総合研究所に通い核融合をやった。授業の単位は一年余りで取って、後半はほとんど電総研に通っていた。

 電総研ではθピンチをやった。これは円筒内の気体を磁力線で圧縮して、高密度、高温のプラズマを作る装置である。ここでも能力ある先生たちに恵まれ、有意義な時間をすごすことができた。

 大学院の時は「プラズマ若手」という、全国の大学からプラズマ研究をやっている学生が集まる勉強会などに参加した。

 そのとき、日本原子力研究所を見学する機会を得て、当時では世界レベルのトカマク型核融合実験装置を見学した。「地上に太陽を」この言葉は、すごく魅力的で生涯の研究テーマにしようと熱く思ったことを覚えている。僕は科学を通じて人類に貢献する、などと本気で思っていた。

 

 修士を終えると原研に就職した。

 ここでは、「JT-60」という次世代の大型核融合実験装置の研究開発に携わった。何年後かに完成すれば、世界トップレベルの大型トカマク実験装置になるはずだった。実際に、稼動を始めてからは世界最高の実験値を出している。

 しかし、就職前に友人を訪ねてアメリカにひと月ばかり旅行し、アメリカの大学を見学したとき、必ずもう一度戻ってこようと強く思っていた。

 幸い、修士論文を英語で書いていたし、原研に入って二年余り後、英文の論文もできたのでUCLAのある教授に送ってなんとか受け入れの返事をもらった。

 それから色々あって、結局、挫折して日本に帰ってきた。面倒だし、あまり楽しい思い出でもないので省く。要するに、自分の才能の限界というものが見えたのだ。世界は広かった。

 日本に帰ってからも色々あった。といっても比較的のんびりした時期で、子供を育てて、ボーっとしている間に時間がすぎていった。

 原研を出るとき、また帰ってきて皆さんの前で講演しますと大見得を切った。当時はまったく恐れを知らないバカ者というか、今考えると赤面する。

 

 今年、五月、原研で講演した。数式と実験データを示しながら颯爽と、というのとは違って、「科学と文学」という自分でもよく分からない内容だが、何となく古巣に帰ったような気がして楽しかった。講演の後、昔のグループの仲間が飲み会を開いてくれた。文壇のパーティーより、遥かにほっとする。

 正直、物書きとして進む決心をするときには大いに悩んだが、今となってはそれも良かったかと自分を納得させている。

 小説家としてデビューしたとき、編集者が「原研出身の大型新人」でいきましょうと言ったが、理系出身ということはわずかな理系の知識と共に役に立っている。

 本を読んだのは、小学校時代の少年少女世界文学集程度で、その後は小説などほとんど読んでいない。今でも、小説を読むよりは、資料を読むほうが多いし、楽しい。

 

 意識しているわけではないが、科学をベースにしたものが多い。『ペトロバグ』『命の遺伝子』は遺伝子関係、『スピカ』『冥府の使者』は原子力関係。

 現在は、去年出した『M8』の影響で災害ものが多くなっている。これはスーパーコンピュータを駆使して地震予測をするという、何となくありそうなことだが、この分野に詳しい友人にはかなり眉唾物だと言われた。

 今月15日に『TSUNAMI』が出る。これは名前の通り津波を扱ったもので、本を通じて多くの人たちに地震や津波の恐ろしさを知ってもらい、同時に正しい知識を持ち、対策を立てていればさほど怖いものではないということを分かってもらえれば有り難い。

 現在、ある小説の映画化の話とアメリカでの出版の話が進んでいるが、いずれも形となって現われるのは再来年の話。

 今後も、科学をベースにした小説を書いていきたいと思っていますが、どうなることか。